2008年07月02日
Mercenary
主にアフリカで「活動」したフランス人傭兵ボブ・ディナール
(Bob Denard)昨年78歳で亡くなりました。
彼も「ワイルドギース」にインスパイアを与えた一人。
ハイ!あふりかです。
しつこいくらいに話が出てきます「傭兵(Mercenary)」ですが、この「職業」は随分と昔から存在します。よく「世界最古の職業」として「売春婦」が挙げられますが「傭兵」も負けずに古くから生業として成立してます。古代ローマの第二次ポエニ戦争でカルタゴ側で戦ったヌミディア(北アフリカ)騎兵は金銭で雇われて戦った「傭兵」であったようです。古代騎兵は「鐙(あぶみ)」の無い裸馬に騎乗する為に特殊な技術、鍛錬が必要でした。昔は馬が持てる富裕な貴族が騎兵となりましたが、乗馬に慣れ親しんだ騎馬民族を雇う事の方が多くの騎兵運用を可能とした訳です。
「傭兵」が歴史を彩る存在となったのは16~17世紀。まぁ日本じゃ「萌える」人も少ない為に学術的な資料が多く、正直「つまらない」んですが戦記マンガで有名な滝沢聖峰氏作品「 Tale of Rose Knight~ばら物語」第1巻が発売されました。16世紀イタリアが舞台。「大砲」や「鉄砲」と言う当時の最新兵器を操る「傭兵」が登場します。オススメです。
「カネカネカネ!」と思われがちな「傭兵」ですが、
それが全てでは無かったって話も存在します。
「戦争の犬たち」の作者F・フォーサイズが作品の参考としたと言われるビアフラ戦争では義侠心に駆られ戦った傭兵(ってより義勇兵)たちが存在します。(ビアフラ戦争についてはググってね)
☆動画に一部ショッキングな場面があります。平和主義者、左巻きの方はご注意下さい☆
こちらはコンゴ動乱の様子。カタンガ州独立の為に戦ったのは有名なマイク・ホア大佐の5th コマンド。TOP画のボブ・ディナールも5thコマンドに所属しましたがマイク・ホアとは不仲だったそうです。
こちらは高部氏が戦ったミヤンマーはカレン解放軍の
最大拠点「ワンカー」の映像。
高部氏のアフガン、カレンでの戦いも「傭兵」としてより「義勇兵」的なものであったと思います。
失礼を承知で言えば、義侠心で戦った経験を元に「傭兵」として必要なバックグラウンドを得たのではないでしょうか?
「傭兵」、「PMCオペレーター」
「何に命を張るか?」
命を賭けて戦う者にしか理解出来ない、
それぞれの「生き方」がそこにはあります。
2008年07月02日
DPMS
「Tri-Gun Challenge」のDPMSスタッフ
ハイ!あふりかです。
あふりか、まだ若い頃にいつも考えてました。
「なんでアメリカ人に生まれなかったんだろう?」
生まれが神奈川県横須賀市、汐入ってトコでベース(米海軍基地)はお散歩圏内でした。
3歳で川崎に引っ越しましたが、おじいさんや親戚、知人の多くが横須賀市に住んでいたいた為に、その後、横浜、千葉と住まいが変わるも頻繁に横須賀を訪れています。
両親の親友に日系3世Mさん家族がおり、家族ぐるみの付き合いでよくベースの中に遊びに行きましたが、そこは正に「アメリカ」。1時間も居ると日本である事を忘れます。
あふりかがミリタリーやGUNに興味がある事が嬉しいようで、Mさんは基地内をよく連れ回してくれました。オープンハウスではMさん乗艦「カーク」に、長蛇の見学待ちの列を横目に「ゲスト」乗船。Mさんは「チーフ」でしたので見学コース外の下士官メスでお茶をしたり貴重な体験をしました。Mさんにもらった「カーク」のキャップを被っていると、他の乗組員が皆笑顔で「Nice cap!!」と握手を求めてきたのを思い出します。当時のあふりかが、人なっこさと「銃の文化」を持つアメリカに憧れを抱いたのは自然な事だったと思います。
「規制」と「自由」の間で揺れる米銃文化ですが愛好家とそれをバックアップするメーカーの関係を見ると非常に羨ましさを感じます。
画像は、米国内でAR15系ライフル製造数第三位のDPMSパンサーアームスが主催する3ガンマッチ。ライフル、ショットガン、ハンドガンを駆使したシューティングマッチをDPMSはバックアップしています。マッチ会場はまるでゴルフトーナメントの様な賑わいで家族連れも多く訪れています。この辺は銃文化の長さを感じます。
DPMSは国内ではそれ程知名度が高くないのですが米国ではリーズナブルな価格もあり人気のようです。参加者のウエアが気になったらコチラへw