2008年06月06日
Private contractors
元ローデシアSASのPrivate contractors
ハイ!あふりかです。
本日は、とあるPrivate contractorの足跡を追ってみましょう。
彼の名前はセキピオ・アフリカヌス。仕事柄、仮名である事は想像に難くない。既に家族の安らぎや平穏を求める齢ではあるが今尚、硝煙煙る戦場に何かを求め世界各地の紛争地帯を渡り歩いている。
彼のMilitary recordはローデシアから始まるが、ローデシア以前にも東南アジア方面で仕事をしていた形跡がある。東南アジアを後にした彼は「男の中の男たれ!」の募集広告を切っ掛けにローデシア陸軍と傭兵契約を結ぶ。RhSASを経て新設されたセルーススカウツへ。写真はモザンビーク国境付近で撮影された「スティック(偵察チーム)」である。
彼のローデシア軍における最終階級は大尉であった。ステックのリーダーとして多くの特殊作戦に参加した功績であるとの記録がある。(サムズミリタリヤで買った階級章が大尉であったからの説が濃厚であるが・・・。)当時はまだ捕獲数の少なかったRPKを使用しているのが写真から確認できる。
熾烈を極めたローデシアでの戦いは個々の戦闘では勝利を収めるものの政治的圧力、通商破壊によって継戦能力を奪われ遂に終焉を迎える。ローデシア人では無い彼であったが多くの仲間とともに戦いの場を南アフリカに移すのであった。
ローデシアを後にした彼は南ア陸軍へ入隊。特殊部隊レキースコマンドの創設に関与したとの噂がある。写真は陸軍80年代装備をしている事から追跡技術などの指導に一般部隊へ参加していた時のものと思われる。R4ライフルでは無く生産地不明のAKを使用している。
彼の南アでの所属は非常に曖昧である。恐らく対不正規戦技術が求められる部隊間の転属、転籍が続いていたものと思われる。彼は南ア警察軍でも少人数による偵察部隊を率いていたようだ。写真に写る彼以外の隊員はローデシア時代のスティック隊員と同一人物である。
車両によるゲリラ追跡の合間に撮影されたと思われる貴重な休息時のスナップショットである。彼はイスラエル製ガリルブーツというキャンバスブーツを着用。チェストリグはローデシア時代からの物のようだ。強い日差しを避ける為にブッシュハットを使用している。
非常に貴重な写真である。投降してきた東独軍事顧問団の将校である。南アでは東独、キューバの軍事顧問が捕虜となった事実が記録されており、それを裏付ける写真である。
恐らくアンゴラ領内で撮影されたと思われる写真。SAP(南西アフリカ警察へ転籍している可能性もある)、SWATF、ローデシア迷彩を着用したレキースコマンド(欺瞞の為に各国のコピー迷彩服を着用していた)が一同に介したスナップ。G3とUZIを使用しているのが確認できる。
険しい山岳地で待ち伏せを行う様子が伺える。この時も彼はSAP 2ndパターン迷彩服を着用している。恐らくSWAPOL-TIN 「KOEVOET」所属時の撮影ではないかと推測する。
南ア白人政権が倒れた際、彼は南アを後にしている。恐らく秘密作戦に従事していた彼は真実和解委員会で証言したとしても恩赦は得られないと判断したのかも知れない。南アを後にした彼は、一時狙撃兵として東欧の紛争地に姿を見せている。着用しているのはSARP(南ア鉄道警察)の迷彩服と英Web-Tex製 コンシールメントベスト、使用銃はM24と思われる。この時点で彼はまだ民間軍事会社には籍を置いていないと思われる。
この東欧での活動の後、彼は民間軍事会社数社を
渡り歩いている。
彼に安息の日は果たして訪れるのであろうか?
続きません。
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実在人物かと思いましたw
思わず鼻水出ちゃいました!
こんにちわ!
昔から撮った写真にこんなコメントを
書き込んで仲間内でゲラゲラ笑ってました。
笑えるのは東ドイツの制服着た方!
当時、ローデシア、南アの格好をした
連中は大喜びで、あの方を追跡してました。
乙!
あふりかが迷彩服着てるの
百鬼は見たこと無いんじゃない?
たまには昔の格好でゲーム行こうかなぁ。
最高ですね