2008年05月16日
傭兵?3
UZIじゃセスナは落ちんなぁ。 映画「ワイルドギース」より
ハイ!河野 洋平じゃなくて あふりかです。
あっ、ざぶとん持ってかんといて・・・。
さて、1、2と書いて来ましたが何の締めもありませんので
ここらで中締めと致しましょう。
傭兵稼業はWW2後の冷戦構造の中で低烈度紛争が増えた事で、そこそこの需要がありました。しかしスタイルとしては先に触れたマイク・ホァーの様に規模は小さいながらも個人事業として仕事を請ける者や一匹狼的に活動し、多くても少人数のグループで活動するものに大別できます。画像は二大傭兵映画の一つ「戦争の犬たち(The Dogs of War)」。主人公キャット・シャノンは単独、少グループで活動する傭兵という設定でした。原作はフレデリック・フォーサイスが綿密なリサーチの元、重厚な筆致で書き上げており一読をオススメします。
傭兵も冷戦構造が崩れるまでは大して儲からない商売であったと言えます。ジュネーブ条約に抵触しますし「裏稼業」でしたんで大きなビジネスとは成りにくかったのは確かです。アフガンやカレンで戦った高部氏は傭兵と言うよりも「義勇兵」的でしたし、ご自身の著書にも記されていますが収入的には大変厳しいものがあったようです。
傭兵とPMCの間に横たわっていたのが米ソの対立である「冷戦構造」でしょう。
「冷戦」は足下に地雷が埋まったシーソーの様な状態でしたが、どちらも非常に危険なバランスの上にいましたのでギリギリの均衡が保たれていました。旧ソ連の崩壊(ある意味西側が仕掛けた経済戦争に敗北した訳ですが)により危うい均衡は崩れます。
「米ソ対立」のタガが外れた為に旧来のローカルな対立が表面化します。米は冷戦で棚ボタ式勝利を収めますが旧ソ連同様に疲弊した状態であり、地域的な紛争でさえ単独継戦能力が残されていませんでした。(湾岸戦争で明かになってます)
PMCがビジネス足り得たのは冷戦の終結と米国の疲弊によるものでしょう。傭兵が請け負っていた小国や企業のオファーに比べて、「戦争のアウトソーシング化」を目指した大国アメリカからオファーは巨額な利益をもたらすものでした。大きなプロフィットがあるからこそ多くのPMCが生まれたと言えます。
不透明感の増した国際情勢ですので、PMCが古の傭兵のように姿を消す事もあるやも知れません。
かっての大泥棒 石川五右衛門は「浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」との辞世の句を残しました。「戦の種も尽きまじ」のこの世では盗人同様に「戦争を生業とする者」もしぶとく残っていく事でしょう。
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