2008年05月30日
Insurgency War8

つづき
今回はややサイドストーリーとなります。



冷戦時代は、「二大国」の一方であるソ連の経済的破綻が終結の引き金となります。その発端の一つはソ連による「アフガニスタン侵攻」であったと言っても差し支えはないでしょう。ソ連は東欧諸国での反体制的な動きに「戦車」を以て力で押さえ込む方法を用いて成功してきました。近代兵器を持たないアフガニスタンにおいてもソ連は従来の方法で臨みますが、Insurgency Warにおいて戦車は大きな意味を持っていません。お詳しい方も多いですし様々な文献がありますので敢えてここでの言及は避けますがソ連の古い戦術はアフガニスタンで瓦解します。
対不正規戦(Counter Insurgency War)戦術の開祖、英SASは熱帯地域に比べて乾燥地域での不正規戦では苦戦を強いられる事が多々ありました。SASのお家芸である少人数による長距離偵察や「ハーツ&マインズ」の効果を妨げる要因がそこにはあったと考えます。
砂漠、乾燥地域は熱帯ジャングルと異なり身を隠すものが少ない地域であり、例え少人数であってもパトロールが発見される可能性は高くなります。発見される可能性が高い作戦自体は実行が不可能となり情報収集や監視によって得られる敵の動向は少なくなり本隊作戦実行の障害となります。
湾岸戦争時の英軍司令官デラビリエール大将は、過去SAS指揮官として北アフリカ方面で活動していたためにアラビア語に精通していました。アラブ諸国関係者と会話をするデラビリエールの姿は、各国軍高官にSAS隊員の能力の高さと「ハーツ&マインズ」を重視する隊員育成方針を印象づけたと言われています。この様に高い能力を発揮するSASでも克服が困難な壁が「宗教」であったと思われます。


イエメン人民民主共和国(現在はイエメン人民共和国)首都アデンで英SASは身を隠せない岩山とイスラム教に苦戦します。SASは湾岸戦争においてWW2 LLDGを髣髴とさせる車両部隊を投入するなど、砂漠地帯での活動には定評がありますが乾燥地域、アデンのような岩山の多い場所では有効な戦術が確立されていないと思われます。これは英SASに限った事ではなくアフガニスタンの旧ソ連軍、現在の米軍も同様で特殊部隊が活動する地域としては「鬼門」なのかも知れません。
つづく
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アデンの戦いでSASが戦ったのはソ連の支援を受けた抵抗組織でした。共産主義=無神論ですんでイスラム教ではありません。
勉強不足で申し訳ありません。