2008年10月28日
What is the PMC style?
ハイ!あふりかです。
VOLKさん、「Don't mind!」
あーんど
毎度ありw
さて、ミリブロトップブロガーである
明日香縫製さん「アラブログ!」で
PMC/PSに関する考察が取り上げられています。
するどーい!
Civilian contractor達の装備を見ていくと
やはり初期は「ナメてた」感が漂う軽装が多いですね。
イラクで言えば、開戦から戦闘終結宣言までの
米兵死者数は136名。イラクへPMCが本格進出するのは2003年5月CPA発足と前後します。初期に進出したのはCPA要人警護、政府系復興事業警備を請け負った大手で業務内容的に軽装がメインだったようです。
ところが、民間系復興事業警備などを請け負い、中小を含め多くのPMCがイラク進出を果たした2004、2005年に戦闘は激化。戦闘終結宣言からほぼ一年が経過した2004年4月単月米兵死者数は136名。自衛隊がサマワへ派遣された2004年、隊員と記念写真に納まった中小にあたるPMCオペレーターは充分な防弾装備と重武装RV車を持ち込んでいました。推測ですがPMCがイラクでの装備をグレードUPしたのは2003年8月19日、バグダット国連事務所が自爆車両により爆破され、国連事務総長特別代表セルジオ・デメロ氏が死亡し国連がイラクより撤退したのを契機としていると思います。
有名なファルージャの戦い、マフディとの戦いを経た2005年、国民評議会選挙において選挙管理委員警護にイラク入りしたTactical Response代表 J・イエガー氏と彼が率いたコントラクター達はアーマーベストに身を固めており、弾薬携行数も非常に増え現在のシビリアンコントラクターのイメージに近い姿となっていました。イラクの状況が甘くない事を事前にリサーチし結果であったようです。
緒戦から戦闘終結までがトントン拍子であった為、
占領後の被害が予測困難であったのは否めません。
それでも状況に合わせて装備改編が行えるPMCは
マダましであった気がします。
「PMCスタイル」は現在進行形であり、まだ「2003年当時の再現」なんてのを楽しむには日が浅いジャンルだと思います。あと20年くらい経つと「5.11(ロイヤルロビン社当時)タクティカルパンツ 右セルフォンポケット 希少品」とか「2003年BW社社員着用タクティカルベスト」なんてのがオークションに登場するかもしれませんw
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