2009年05月08日
地雷を踏んだらサヨウナラ
子供の写真が多いです。
ハイ!あふりかです。
本の話です。
そうです、ネタ不足ですww
さて、ネタ不足のツナギであったとしても
そこは月間600万アクセスを超える「ミリブロ」です。
チャンとしたネタをお届けしなくてはタクティコーの
神さんに叱られますw だからチョットマジメに書きますw
あふりか、既にイイ歳のオッサンとなってしまいましたが
コレでも「熱く悩み深い青春の日々」はあったんですw
どこに答えがあるのかより前に、何が知りたいのかさえ
判らない悩み多い青年でした。まぁ誰でも一度は通る
「青春の門」です。未だに答えが判らないモンは
イッパイありますw
そんな不安で、不安定な時って「先輩方の苦労」や
「体験談」って学ぶものが多いと思います。
面と向かって聞くのはナニでって時は本がイイですよ。
あふりか、若いとき読んで「良かった」と思えた本は
浮谷東次郎「がむしゃら1500キロ」と今回紹介します、
一ノ瀬 泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」(写真・書簡集)
です。
印パ紛争をスタートにフリーランスの「戦争カメラマン」となった彼は同年代の若者が抱く不安や悩みを同じく抱えていましたがカメラと写真に答えを求めて激化するベトナム戦争、カンボジア紛争を取材。当時共産ゲリラ「クメールルージュ」の支配下にあったカンボジアの古代遺跡「アンコールワット」をカメラに収める事に情熱を抱き、チャンスを狙う為に遺跡にほど近い町シェムリアップで生活します。
レストラン2階で地元の若い教師ロックルーと共同生活を送り、その暮らしを日記や写真に残します。友人ロックルーの結婚式をカメラに収めた後、タイゾーは単独アンコールワットを目指します。友人に宛てた手紙には「最短距離を目指します。地雷を踏んだらサヨウナラ」と書かれていました。
タイゾーはその後行方が判らず9年後、両親によって弾丸が貫通した愛用のニコンF2とともに遺体が発見されます。クメールルージュに捕らえられ処刑されたとされています。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」はタイゾーが友人や恩師、両親に宛てた手紙や日記、メモと彼が撮影した写真をまとめた作品です。そのために他人が読むことを意識した「お化粧文章」が無く、率直で屈託の無い彼の言葉が深く印象に残ります。様々なチャレンジや失敗、苦悩を経験し悩みながらも「戦争カメラマン」としての道を歩んでいたタイゾーですがその人生は僅か26年で幕を閉じます。
ところがです。
彼の写真、そして「地雷を踏んだらサヨウナラ」は多くの人に「何か」を感じさせます。それは「感動」とは違い自分と同じ等身大の人間の息遣いへの「共感」ではないかと あふりかは感じてます。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」はタイゾーの息遣いを感じた人によってタイゾー亡き後も続いていきます。TVの追跡取材により生活を共にした友人ロックルーはポル・ポト政権下で命を落としていた事が明らかになります。
当時のポル・ポト(クメールルージュ)は「原始共産主義」とも呼ばれる教義により知識者層を弾圧の対象としており、そこには「教師」も含まれていました。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の読者には非常にショックな事実でしたが、もっと驚かされたのがロックルーの新妻は夫の死後、その遺志をついでポル・ポト政権後のカンボジアで「教師」となって若い世代の育成に尽力していた事です。
作中でロックルーの奥さんは若くまだ世間を知らないお嬢さんでした。カンボジアが辿った厳しい歴史を知るとともに、タイゾーと同じく志半ばで倒れたロックルーの情熱は奥さんを通じてカンボジアの未来を託す子供たちに引き継がれていくようでジーンと来ちゃいました。
まだまだあります。
タイゾーは日大芸術学部写真科卒。
同じ学部の何年も後輩に「不肖」がいらっしゃいますw
そう、「不肖 宮嶋」氏にとってタイゾーは「憧れ」であり、「目標」だったんです。「戦争写真家」としてはC調と思われがちな不肖 宮嶋氏ですがNTV系の深夜番組で、番組から貰うお金を好きに使って良いって企画があり、不肖宮嶋氏は軽量小型の現像器を購入します。
それを、タイゾーの遺したネガを現像する事を楽しみとしているタイゾーのご母堂にプレゼントしたんです。一ノ瀬家の現像器は古く、お歳を召されたご母堂には重く、操作が大変であるからとの理由からでした。あふりか、宮嶋氏の事が益々好きになってしまいましたw
「地雷を踏んだらサヨウナラ」は浅野忠信氏主演で映画化され
新たに多くの人が知るところとなり、まだまだ続いて行くと思います。
あふりか がこの本を読んだのは高校1年生だったと思います。
少なからず今の人生に影響があったと思っていますw
是非是非是非、ご一読を。
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自分自身、くすぶる学生時代に「地雷を踏んだら~」や開高健のルポなんぞを読みあさってました。
しかし、自分ら「戦争もデモ」どころか「バブルも知らない世代」には、ルポも、フォトルタージュの舞台となったグラフ紙もすでに無く、「プロ」になったところで「青春の門」はいまだに抜けた気がしませんw
極東のある紛争地帯に送り込まれる際、某不肖より手紙が来ました。不肖らしい文面に染み入るものがありましたね。
SEALsリアカンお疲れ様でした。
また、コメントありがとうございます。
Tがみ様、御不肖様とお知り合いでしたか!
うらやましいw
私も学生の時は沢田教一さんや
キャパ、長倉洋海さんのルポ、
写真を舐めまわすように見てました。
御不肖様の作品も良く拝見してます。
なぜ関西の方は文章も面白いのでしょうねw
結構参考にさせていただいています。
Tがみ様のご活躍も拝見しています。
最近ではロスト・バタリオン救出に
参加されていましたね。
見逃しませんよw
いつもゲームに夢中でお話が
長く出来なくて申し訳ありません。
次回はじっくりw