2008年05月29日
Insurgency War7
つづき
アフリカにおける対不正規戦(Counter Insurgency War)部隊の到達点とも言える南西アフリカ警察対不正規戦部隊KOEVOETでしたがその戦いは南アの白人支配の終焉と共に幕を閉じます。
ソ連崩壊による冷戦の終結は世界各地で繰り広げられた米ソ代理戦争の趨勢に大きく影響を及ぼします。アンゴラを支援していたキューバら東側諸国は部隊を撤退、南アを後押ししていたアメリカは国際世論の強い批判を浴びていた南アの人種差別政策に対し圧力を加えます。
南アは長期間抑留していた反政府勢力ANC(アフリカ民族会議)議長N・マンデラ氏を釈放、アパルトヘイト関連法を撤廃し国際的批判をかわそうとしますが大きなうねりを押さえることが出来ず、1994年4月、全人種参加選挙(白人人口が圧倒的に少ない為に挙行されれば白人支配終結は目に見えていた)を実施。ANCは第一党となり16世紀オランダ系移民から始まった「アフリカの白人国家」南アの歴史は幕を下ろします。
これにより南アのアンゴラ侵攻は停止。属国扱いであった南西アフリカも1994年完全独立を果たし正式に名実共に「ナミビア」となります。
新生南アフリカ共和国は「真実和解委員会」においてアパルトヘイト時代の悪行を告白する事で恩赦を行い、旧支配者たる白人(協力したネイティブも含む)の「贖罪」を以ての共生の道を模索します。しかし恩赦の可能性が低い軍、警察の特殊任務に従事した者は国を離れます。(真実和解委員会で明かされなかった「事実」が闇に埋もれます。)
ソウェト(黒人居住区)などでの暴動を強硬な方法で鎮圧したSAP(南ア警察)は国民からの反感が強く、全人種参加選挙時の混乱(白人右翼団体による妨害など)収拾にはSADF(南ア国防軍)があたりました。その為、現在でもSADFは国民からの信頼が厚いと言われています。
こうしてマラヤ、ボルネオで英SASが考えだし、旧ローデシアによってアフリカならではの特色が取り入れられ、南アの戦いにより「ある種の完成型」を見る事となった対不正規戦(Counter Insurgency War)戦術は南アの地で終わりを迎えたかのように思われました。しかし米ソ冷戦後、世界は新たな秩序と混乱の時期に入り、「系譜」が途絶える事はありませんでした。
つづく
☆あふりかは南アやローデシアが行ったアパルトヘイト政策には断固反対です。アパルトヘイト政策を非難した国が真の「人種平等国家」であるかは大いに疑問であるところですが・・・。☆